日時:2023年7月2日(日)13:00~16:00 場所:霞城セントラル22階会議室B 参加者:12人
参加者は殆どが5月の集いに来て下さった方でした。始めに参加者の自己紹介を行い、その後で自身の吃音について初めて気が付いた時のエピソード話やこれまで経験してきたこと、5月に行われた『第1回山形吃音のつどい』に参加してどう思ったか等の話題を中心に、吃音について思いつくまま話ができた会になりました。最後には、吃音でよかったことについても話がなされました。
その中からいくつかを以下に紹介します。
〈吃音になった時の理由やきっかけは?〉
国語の授業で本読みの時、感情を込めて読んだら先生から否定された。そこから吃るようになった。
場面緘黙症だった。家では話せるけど学校では話せない。先生が家に来た時に家族と話している姿を見て「どうして学校では話さないの!」と怒られた。「大きな声で話しなさい!」「ちゃんと話しなさい!」と再三注意された。そのたびに話すことに緊張しますます話が出来なくなった。言いたいことは頭にあるのにことばが出てこない。上手く話せるようになるにはどうしたら良いか考え、色々やってみるけどだめ。イライラしてしまう。
自己紹介で話せなかった。本はスラスラ読めるが、人が相手になると話ができない。
小学低学年の頃、本読みで「何でスラスラしゃべれないのか!」と怒られた。
高校を卒業して仙台に行った。なまらないように話さなければと意識した頃から吃るようになった。
〈これまでのこと…〉
人を相手に話をすることができない。大きな声を出す、大きい声で話すようにしたら少し良くなった。
特定のことばが言えなくて困っている。
吃るけど、力技でのりきった。自分から手を上げて発言したり、役を担ったりしてきた。22歳の頃に山形市に障害認定して欲しいと訴えたが、たらいまわしにされて終わった。積極的に生きようとしていても困ることはある。障害者にしてとは言わないが相談はしたい。
吃音ではなくて馬鹿にしてくる人には、パワフルに行く。話し方を馬鹿にしてくる友達には「気にしているから言わないで。」と言っていたが、そんなこと言われて理不尽だと思っていた。相手によっては強気に接していた。
職場に以前も吃る人がいたらしいが、同僚はその人が吃りということは気にしていない様だった。「吃っている、ただそれだけ。」と思っていたと言われた。周りの人の意識はそんなものかもしれないと思った。
これまで吃音者と話をしたことがなかった。吃音の人同士で集まって話をするのも無駄ではないと思う。吃ると罪悪感が生じる。すると自信を失う。そして吃音はますますひどくなる。「もう知らねえ!」となった時から吃らなくなった。でも、社会に出ると通じないことも多い。
〈5月のつどいまたは今日の交流会に参加してみて〉
今まで吃音者と会ったことがなかったから、存在を確認してやろうと思って参加した。色々話を聞いて考えも気持ちも変わった。
吃音で悩んでいる人が多いと思った。小中高と「自分は異常なんだ。」と思っていた。「自分だけだ。人間としてダメだ。」と思っていた。自己肯定感が低い。高くもてない。でも悩んでいる人は他にもいるということがわかった。
話を聞いていて、自分も同じだな、思い当たるな…と思った。とにかく人と会うのが怖い。なるべく大きな声を上げて乗り越えていこうとしてきた。今はある程度克服したが、小中高の頃は大変だった。その頃のことを思い出した。
ジェンダーレスの時代になってきている。互いに違いを認め合おうという教育もなされてきている。吃音も一緒に受け入れられるようになるのだろうか…
〈吃音があってよかったことは?〉
障害のある人を馬鹿にするような気持ちにはならない。障害があっても一人の人として普通に接することができる。
手を抜いていい加減にしゃべっていない。話す時は一生懸命に話している。
離す前に頭の中で要件をまとめて話そうとしている。相手が何を伝えようとしているのかを考えながら話が聞けるようになった。
相手の話を聞けるようになった。「話をきいてくれる」と言われる。
以上です。文責:今泉
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