日時:2023年12月10日(日)12時~15時
会場:霞城セントラル22階 山形市市民活動支援センター 会議室B
参加者:14名(当事者8名、言語聴覚士4名、ことばの教室教員1名、親御さん1名)
〈今回は「支援」をテーマに話し合いました〉
小学校はことばの教室があるが、それ以降の方が悩みは深刻になったりする。他にも支援してくれるとこが広げれば良いと思っている。支援について、こういった支援があれば良かったというものがあれば聞いてみたい。
言友会でも、交流会で話し合うことで癒されたり、元気をもらえたりできるが、加えて、認知行動療法や発声練習など行っていくことも良いのではないか。
人生の先輩方の話を聞くと、みなさん一人で向き合い、苦しんで、自分なりに苦労して、結果的に受容されていると感じる。
ことばの教室では、低学年の内から、吃音の正しい知識得られると良かったかなと思う。利用している当時は、どうしてここに来ているのかわからなかった。吃音について話せる場になっていたなら良かったなと思っている。楽に吃る。吃った自分を受け入れられる、そんな場であれば良かったと。
子どもによっては、吃音意識していない子もいる。吃るけど、これが僕の話し方と受け入れている子もいる。吃があるかないかではなく、先生と話せる楽しい場になって欲しいと考えている。子どもと関係を作っていく中で、タイミングを見て、周囲がどう受け止めているかも考えながらやっていきたいと思っている。
ことばの教室では、ゲームをしたりして過ごしていた。小6の卒業式を迎える頃、「あなたの症状は吃音というのだよ。」と初めて言われた。先生は悪気なく言ってくれたと思うが、ショックだった。それ以来吃音のことで頭が一杯になった。中学に行ってからもことばの教室があれば良かったが、わかってくれる人が欲しかったと思う。
吃音の事を親にも話せない人がいる。「どうして、自分は話せない」と思って一人で悩んでいる時に「吃音」という言葉を知って、ショックだった。そんなものになって、もう自分は何もできないのではないかと不安と絶望を感じた。吃音について正しく知ることが大切と思う。
中学高校の先生や親の理解も大切。
「吃音」と告げるだけでは不安な気持ちを煽るだけになってしまう恐れがある。告知はそのものの内容を伝えることが大事。吃音があっても普通に愛されるし、普通に大人になれる。何でもできる。愛される大切な存在である。ということを、子どもが実感として理解できるような係わりが大事と思う。
仕事では思春期のお子さんを持った親御さんから相談を受けることが多い。本人がそういうところに来るのはハードルが高いのだと思う。言友会にも、参加したいが勇気を持てない人もいると思う。どうしたら1歩踏み出してもらえるのか。口コミで広がるのが一番良いと思う。「楽しそうだね」と言われる会になると良い。
発信していくこと、声を上げていくことが大切。
話をすると「違う」と言われ否定された経験がある。話の全体を聞いて、何を言おうとしているのか予測しながら聞いてもらえると話しやすくなる。中学の時国語の先生に「もっとはっきり話しなさい。」と注意されて悔しい思いをしたことがある。学校の先生に吃音の事正しく理解して欲しいと思う。吃音が悪いのではない。一律に接するのではなく、配慮して欲しい。どうして欲しいか話を聞いて一緒に考えていくことが大切と思う。
山形には「ことばの会」という会がある。その会は、吃音にこだわらず、話しにくさを抱えている全ての人のための会にしたいとの思いから立ち上げられたが、コロナでなかなか活動ができないままになってしまっている。
話し方だけ、吃音だけに目が向くと、周囲が見えなくなると思う。「こういう話し方」と広く受容していければ良いのかと思う。
周囲の理解が大事という話はよくわかるが、自分は自分の問題として吃音を考えてきた。これまで周囲からからかわれるということはあまりなかった。周囲も理解してくれていると思って、もっと理解して欲しいという発想はなかった。理解してもらうだけでは気持ちは満たされなかったと思う。自分を変えたいと思ってきた。
毎日散歩しながら発声練習をしている。吃音が良くなるための工夫を自分で行っている。
吃音を治そうと考えて中学入学後すぐに放送部に入った。放送部は毎日発声練習をするので、それで吃音が治るのではないかと考えたからだ。放送部は放送をするところということが抜けていた。マイクの前で原稿を読まなければならないということを忘れていた。ある日全校放送を終えると校長先生が来て「今原稿を読んでいたのは君か。頑張ったな。」と慰められた。その時、自分は慰められる存在なのだと落ち込んだ。そしてなんとかしたいと思った。社会人になって、大きな会が開催されそこで開会のあいさつをしなければならなくなった。皇族や県知事も参加しているような会でかなり緊張した。1か月前から嫌というほど、やせ細るほど練習した。その成果がでたのか当日は自分でも信じられないくらい流暢に話せた。内心「やった!」と安心した途端、最後に言う「ありがとうございました」の「あ」が全く出てこなくなった。なんとか誤魔化しながら終えたが、もう落ち込んで、穴があったら入りたい気分でその場を過ごした。後日、みんなにそのことをみんなに聞くとほとんどの人に気が付かなかったと言われた。それから、もっと大勢の前で話をしてリベンジしたいと思った。大勢の前で話をする機会をえるために仕事上もスキルアップに励んだ。そしてなんとか機会を得て話すことができた。今では吃音の講演もしている。こうなれたのは、人前で話すことから逃げなかったからかなと思っている。生きていると、冠婚葬祭など、どうしても人前で話をしなければならないこと必ずある。逃げられない。吃音があることで人格を否定されることはあってはならない。吃音があるから性格が悪いわけではないのだから。
吃音があるからではなく、そのままの自分で良いと、自分が納得できないとダメ。「そのままでいいんだよ」と思えることが大事。
ことばの障がいがある方はちょっとでも良くなりたいと考えている。だから治してもらいたいと来るのは当たり前のことと思う。だが、言葉はコミュニケーションの道具であることに変わりない。伝わるという実感、理想とはちょっと違うけど楽しいなーと感じてもらえるような支援をしていかなければならないと話を聞いていて思った。相手の要望に応えられるかどうかは、どうなりたいのかイメージの共有がキモであると言われた。吃音のある方々は人の話をよく聞いてくれる人が多いと感じている。そこは強みになると思う。
コミュニケーションはよくキャッチボールに例えられるが、タマ入れでないかといった話を聞いたことがある。一つのテーマに沿って一緒に入れる。一緒に作り上げていくものではないかと。
どうしゃべるかではなく、どう人の心をくみ取れるかどうかではないか。
講演会でも、スラスラと話をされる講師の話よりも、何を伝えたいのか思いを持った講師の話の方が伝わってくる。思いが伝わることが大事と思う。
今後、啓蒙活動進めていくと、「治すためにはどこに行けば良い?」「どうすれば治るのか?」と思ってくる親御さんが来ると思う。会としてもそこを何とかして行かなければと考えている。
【今後の活動について】
会の運営について、皆さんのご意見を広く伺いながら、一緒に進めていきたいと考えています。参加しやすい交流会、参加された方が沢山話せる交流会、会員一人一人が出来ることを行いながら、「誰かがやってくれる会」ではなく、「自分の会」と意識できるような「みんなの会」にしていきたいと思います。
とはいうものの、まだまだ始まったばかり、ヨチヨチ歩きの会です。皆さんのお力をお借りしながらしっかり歩みを進めて参ります。ご協力よろしくお願いします。
【次回 交流会について】
次回交流会日時:2024年1月14日(日)10時~12時
会場:霞城セントラル22階 山形市市民活動支援センター 会議室B
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